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OW-5659 Chair-X

 

 

ニイチェアとの出会い

 
「いい椅子とは、世の中の多くの人々に役立つ自転車のようなものであるべきだ」と、故人・新居猛さんの有名な言葉がある。
 
偉大なクリエーター新居猛さんとの出会いは、2005年夏のことだった。
東京事務所に一人の老人が訪ねてきた。事務所にいたスタッフは名刺を貰って挨拶を交わした後、老人を玄関まで送った。
中国出張中の私にスタッフから電話があって、
「本日、新居猛という人物が事務所に来た。また来るという言葉を残して去った。」と聞いてびっくりした。もしや人違いではないかと、名刺に書かれた番号に電話をしたら、やはりあの有名な椅子の作者だった。
帰国後すぐに挨拶に行く約束をして電話を切った。
 
八月の徳島は空気が凪いでしまったような熱い日だった。
空港まで迎えに来てくださった新居さんとは初対面だったが、雑誌や書物でその顔は見知っていた。
高齢ながらがっしりした体躯の持ち主だ。なにしろ剣道具の製造が家業であったせいか、八十五歳になった今も足取りは力強く、言葉にも熱がこもっていた。
 
まず自宅兼仕事場に案内された。二階には簡素なショールームがあった。戦後GHQに剣道を禁止され、生きていくために木工を学ぶなど、大変努力した片鱗がうかがえる。
当時の古い椅子のサンプルや製作途中のような部材があちこちに置いてあった。ここが日本、そして世界を風靡した名作、ニイチェア(NY Chair X)の生まれた所だ。
 
名作の原型を初めて見た。同時代のほかの作品も紹介された。
氏の作品はよく書物で見ていたので驚きはしなかったが、新居さんが自らの作品を紹介する熱情に心を動かされた。
自分の作品への自信と椅子へのこだわりがひしひしと感じられたのだ。
 
しばらくして、氏の話は本題に入った。ぜひ中国でも製造して世界に売ってほしい、そして世界の人々に使ってほしい、と言われるのだ。
あまりにも急な話で、ONWAYが氏の名作の椅子を造っていいのか?と、びっくりした。
 
照りつける日差しの中、新居さんの家に別れを告げた。空港で新居さんにいただいたコピーを見ながら複雑な心情になった。
 
その時の約束で、同年9月に新居さんを中国の当社工場へ招待した。
当社にとって、ニイチェアをつくるのは難しいことではなかった。
みんなが感嘆したのは椅子そのものではなく、新居さんという人物と、新居さんの持っている作品に対する自信、世間に左右されない信念だった。
 
翌日当社工場でニイチェアの試作品が完成した。新居さんが満足そうにその椅子に座っている様子をカメラに収めた。
 
全世界に売ってほしいという新居さんのご意思が確認され嬉しい気持ちだったが、と同時に責任重大だとも思った。
そして、新居さんのご期待に添えるようがんばるぞと、全員が決意を新たにしたのだった。
 
その二年後、新居さんは永眠した。
 
 
ニイチェアからの継承と進化
 
他社のロングセラー製品であるDチェアをつくる機運があったが、ある事情で大量の部材が余ってしまった。
それを利用して何かできないかと考えた時に、軽量版のニイチェアをつくることを開発部が提案してきた。
たしかにDチェアの脚部構造は静態250キロの耐荷重があるから、座面の低いニイチェアに最適である。ただし、肘掛けの回転をどうするかが焦点だった。
 
社内で研究を重ねた結果、回転とロック機能とを一つのパーツで実現することにたどり着いた。
すなわち、31°の回転軸にして回転機能を持たせながら、安全確保と同時に外観では見えない内蔵式にした。
 
この製品がデビューしたのは2007年アメリカでの展示会だった。座面は従来より高く設定し、従来の立ち上がりにくいという難点が改善された。